「自分に自信が持てない」
「女性に対してつい卑屈になったり、逆に威圧的になったりしてしまう」……
そんな悩みを抱える男性は少なくありません。
真の誠実さとは、小手先のテクニックではなく、揺るぎない「自己規律」から生まれます。
今回は、187cm・100kgという巨躯を持つ筆者が、その力を「支配」ではなく「包容力」へと変換するために辿り着いた、自己規律の哲学を解説します。
【この記事の要点】
・スペックへの甘えを捨てる: 外見や社会的地位という「外側」の力に依存せず、内面を律する重要性。
・自己規律は誠実さの土台: 自分との約束を守れない男は、他人との約束も守れない。
・力の抑制が安心感を生む: 圧倒的な力を持ちながら「使わない」選択が、女性への最大の優しさになる。
・支配欲からの脱却: 自分を支配できていれば、パートナーを束縛する必要がなくなる。
第1章:187cm・100kgという「質量」がもたらした無意識の支配
187cm、100kg。
この数値は、単なる肉体のサイズではない。
社会生活において、あるいは対人関係において、言葉を発する前から相手に何らかの先入観や、ともすれば「恐怖」に近い緊張感を与えるのに十分なスペックだ。
そもそも、平和主義者な私はこれまでの人生で、この体格を利用して誰かを力ずくで従わせたり、暴力を振るったりしたことは一度もない。
しかし、かつての私は、この恵まれたスペックがもたらす「無言の圧力」に、無意識のうちに甘えていたことがある。
自分が動かなくても、周りが勝手に気を遣ってくれる。
少し低い声で話せば、相手が言葉を飲み込み、私の意を汲み取ろうとしてくれる。
また、その圧倒的な存在感ゆえに、相手が自分に合わせてくれている状態を、あろうことか「相性がいい」と履き違えていたことだってある。
それは、対等で誠実な対話の結果ではなく、私の物理的なスペックがもたらした「無意識の支配」による沈黙に過ぎなかった。
しかし、ある時気づいた。
恵まれた体格という「外装」に甘んじている限り、私の「内面」は脆く、未熟なままであることに。
外側が強大であればあるほど、内側の弱さは隠蔽され、成長の機会を奪う。
今の私は、この巨大な肉体を
「他者を圧倒する道具」ではなく、
「自分を律するための重り」として
定義し直している。
なぜ、わざわざ自分を追い込むのか?
それは、187cm・100kgという大きな器をコントロールできるだけの「強靭な自制心」を持って初めて、女性に対して本当の意味で優しく、誠実であれると信じているからだ。
第2章:規律の哲学——なぜ巨躯を律し続けるのか
187cm、100kgという肉体は、物理法則に従えば、放っておけばただの「惰性の塊」になる。
重力に逆らってこの巨体を動かし、維持するには、相応のエネルギーと、それ以上に強固な「意志」が必要だ。
私が日々、トレーニングと食事管理を自分に課しているのは、マッチョになりたいわけじゃない。
自分との約束を守るための「基礎筋力」を養うためである。
自己規律とは、言い換えれば「自分に対する誠実さ」に他ならない。
朝、まだ眠気が残る中で決まった時間に起き、冷たいバーベルを握る。
目の前の誘惑を退け、体にとって良質な食事をする。
これらはすべて、社会的な評価とは無関係で、自分自身と交わした小さな約束の積み重ねである。
この「自分との約束」さえ破り続けている男が、いざという時に他者との約束を、あるいは「誠実であること」という目に見えない誓いを守り抜けるだろうか?
私はそうは思わない 。
100kgの肉体を律することができない男は、自らの感情も、瞬間的な欲望も、そして愛する人への振る舞いも、その場の流動的な感情に支配されてしまうだろう。
それは「自由」に見えて、実は感情の奴隷、つまり「無責任」な状態なのだ。
私にとってのトレーニングは、精神の「調律」に近い。
筋肉に極限の負荷をかけるたび、私は自分の弱さと対峙する。
「今日は疲れているから休んでもいいのではないか?」
「これくらい、誰も見ていないからいいのではないか?」
そんな甘えが頭をもたげるたび、規律というフィルターでそれらを濾過していく。
この過酷なプロセスを経て初めて、私の言葉には「重み」が宿る。
それは物理的な100kgという数値ではなく、自分を支配できているという自負から来る、精神的な重みだ。
規律は、自由を奪う鎖ではない。
むしろ、自分という制御不能になりかねない巨大な力を、正しく扱うための「操縦桿」なのである。
第3章:誠実な戦略——圧倒的な力を「包容力」に変換するプロセス
強大な力は、扱いを誤れば「恐怖」を植え付け、正しく使えば「究極の安心感」を与える。
187cm・100kgという物理的なアドバンテージを、恋愛における「誠実な戦略」として機能させる鍵は、その力を徹底的に「抑制」することにある。
「いつでも戦える男」が、あえて「戦わない」選択をすること。
これこそが、真の意味での余裕である。
自己規律によって自分を支配できている男は、女性とのコミュニケーションにおいて、自分の正当性を必死に主張したり、相手を論理で言い負かしたりする必要性を感じなくなる。
なぜなら、自分を律することで得た「静かな自信」が、安っぽい承認欲求や支配欲をすでに満たしているからだ。
具体的には、以下の3つのプロセスを経て、私の持つ力は包容力へと変換される。
1.威圧を排除した「静かな挙動」
大きな体を持つ者こそ、動作はどこまでも静かで、丁寧であるべきだ。
規律ある肉体から生まれる無駄のない動き、落ち着いた所作は、相手に「この人は自分の感情も力も完全に制御できている」という無意識の信頼感を与える。
2.感情の揺らぎを吸収する「質量」
この肉体を日々律している精神は、少々のトラブルや相手の感情的な揺らぎに動じることはない。
規律という名の鍛錬が、精神的な「懐の深さ」を作り、相手の弱さや不完全さをそのまま受け止めるキャパシティとなる。
3.「守るための力」の無言の提示
鍛え抜かれた体は、多くを語らずとも「いざという時に自分を、そして大切な人を守れる機能がある」という事実を証明している。
その絶対的な裏付けがあるからこそ、言葉選びはどこまでも優しく、態度はどこまでも謙虚であれるのだ。
小手先の恋愛テクニックで自分を大きく見せようとする男は、常に「メッキが剥がれること」を恐れている。
しかし、規律によって内側からビルドアップされた男は、着飾る必要がない。
この「飾らない強さ」こそが、女性が最も安心して心を開ける「誠実な器」となる。
第4章:支配欲からの脱却——自分を支配できれば、他人は自由でいられる
恋愛における「支配」や「束縛」は、決して強さの証ではない。
それは、自分自身をコントロールできていない不安や「恐怖」から生まれる、精神的な弱さの露呈に過ぎない。
かつての私は、どこかで「相手を自分の想定内に置いておきたい」という歪んだ欲求を感じることがあった。
しかし、自己規律の道を深めるにつれ、その醜い支配欲の正体が明確になった。
それは、自分の内面にある空虚さや不安定さを、外部(相手)を制御することで埋め合わせようとする「代償行為」だったのである。
自分を支配できている男は、他人を支配する必要がない
毎朝、重いバーベルを挙げ、食欲を律し、己の怠惰と戦っている私は、すでに「自分という最も手強い相手」を征服するプロセスの中にいる。
この圧倒的な自己充足感は、他者を思い通りに動かして得られる安っぽい優越感とは、次元が異なるのだ。
自己規律がもたらす最大の恩恵は、「執着からの解放」である。
・「所有」から「並走」へ
自分を律している男は、自分の価値を他人の言動に依存させない。
だからこそ、パートナーが自分とは異なる意見を持ち、自由に振る舞うことを心から尊重できる。
相手は「私の所有物」ではなく、共に人生を高め合う「独立した魂」になるのだ。
・感情の自給自足
寂しさや不安、ストレスを、規律ある生活(トレーニングや仕事への邁進)の中で自ら消化できるため、
女性に対して過度な「構ってほしい」「認めてほしい」というエネルギーをぶつけずに済む。
これが、大人の男としての「誠実な距離感」を生む。
・自由を許容する強さ
187cm・100kgの肉体を規律の下に置いているという自負は、精神的な「揺るぎない城壁」となる。
その城壁の内側はあまりに広大で安全なため、隣にいる女性は、一切の圧力を感じることなく、羽を伸ばして自由でいられる。
「君のためを思って」という言葉で相手を縛るのは、戦略的な誠実さではない。
真に誠実な男は、まず自分を厳しく律し、その背中を見せることで安心感を与える。
私がこの肉体を磨き続けるのは、相手を逃がさないためではない。
「この男の隣なら、どこまでも自由でいられる」と、相手に確信させるための誓いなのである。
結び:規律は、あなたを自由にする
187cm・100kgという私の肉体は、一つの極端な例に過ぎない。
しかし、そこで得た教訓は、体格や環境を問わず、すべての男性に共通するものだと確信している。
それは、「自分を律する力(自律)こそが、誠実な愛を支える背骨になる」ということだ。
多くの人は、規律を「自由を奪うもの」と捉える。
好きなものを食べ、好きな時間に起き、感情の赴くままに振る舞うことこそが自由だと信じている。
しかし、その先に待っているのは、自分の欲望や、他人からの評価、あるいは「選ばれない自分」への不安に振り回される、不自由な日々である。
一方で、自分で決めたルールに従い、自分を統制できている男は、外側の世界がどうあろうと揺るがない。
この「揺るぎなさ」こそが、恋愛において女性が本能的に求める「誠実さ」の正体であり、あなたをあらゆる執着から解放する本当の自由なのだ。
筋骨隆々でなくていい。
今日、一回だけ腕立て伏せをする。
今日、大切な人に対して感情をぶつける前に一呼吸置く。
その小さな「自分への勝利」の積み重ねが、あなたの器を広げ、いつしか誰もが安心して寄り添える「大きな男」へと変えていく。
私が今、鏡に映る自分を見て感じるのは、かつてのような「力への全能感」ではない。
「今日も自分との約束を守り、大切な人を守れる準備ができている」という、静かで深い安堵感だ。
規律は、あなたを縛る鎖ではない。
あなたが、あなた自身を、そして愛する人を本当の意味で自由にするための、唯一の道なのである。
第1回である今回は、そのすべての出発点となる「誠実さ」の土台を築きました。
次回の第2回では、私たちが無意識に振りかざしてしまう「正論」という名の支配を、
いかにして手放していくべきかを具体的に掘り下げます。
自立した個として、共に歩み始めましょう。