恋愛ストーリー

あの雨の日から、すべてが始まった・・・。

第一章:凍える雨と灯火の予感

四十歳を迎えた美央は、法律の道を志したかつての自分と、大手企業に勤める夫の単身赴任中、
アルバイトでお小遣いを稼ぐ現在の自分との間に、静かな乖離を感じていた。


美人と言われた若い頃も過ぎ、三十歳での結婚を機にめっきり男性からの視線を感じなくなった現実は、美央の中に小さな不安の棘を刺していた。
子供が欲しいと願っても叶わず、年齢を重ねるごとにその焦りは募るばかり。


元来の生理不順の体質も、その不安に拍車をかける。
広すぎる家に一人、満たされない何かを抱えながら日々を送っていた。

そんな美央が、友人の見舞いに訪れた大学病院で、一人の医師と出会う。
海斗、三十二歳の内科医だ。


有名大学医学部を卒業し、現在は大学病院で勤務する彼は、患者からの信頼も厚い穏やかで優しい人物だった。


しかし、勉強と仕事一筋で女性経験は一切なく、いまだ童貞。
家事も全くできない、不器用な一面も持ち合わせていた。


友人に寄り添い、丁寧に病状を説明する海斗の誠実な姿に、美央の心に微かな好意が灯る。
それは、単身赴任で不在がちな夫との間の冷え切った関係に慣れきってしまった美央にとって、久しぶりに触れる温かい感情だった。

数日後、美央は新しい仕事を始めた。スーパーのアルバイトを辞め、家事代行サービスで働くことにした。
家事代行サービスでの初出勤の日。


指定されたマンションの一室を訪れた美央は、依頼主の名前を見て小さく息を呑んだ。
海斗。病院で会ったばかりの彼だった。


部屋のドアを開けて美央を迎えた海斗は、彼女の姿を見て驚きに目を見開いたが、すぐにいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。

「あなたは、たしか・・・」

「海斗先生。以前、病院でお会いした美央です」

「やっぱり、そうでしたか。どうぞ、中へ・・・」

部屋に通された美央は、一瞬、その光景に言葉を失った。

「うそ・・・」

海斗の部屋は、想像を絶するほど散らかっていた。脱ぎっぱなしの洋服、読みかけの医学書、
コンビニの弁当の空き容器…まるで嵐が過ぎ去った後のようだった。

(これは・・・ひどい・・・)

全く家事ができないと聞いてはいたが、これほどとは・・・。


美央は思わずあっけにとられたが、すぐにプロとして気持ちを切り替え、黙々と片付けを始めた。

手際よく部屋を整え、掃除、洗濯、そして夕食の準備まで完璧にこなす美央に、海斗は終始感心しきっていた。

「すごいですね、美央さん。本当に助かります。ありがとうございます」

彼の飾り気のない、まっすぐな感謝の言葉は、ここ何年も誰からも褒められることのなかった美央の心にじんわりと染み渡った。

「いえ、これが私の仕事ですから・・・」

そう答えながらも、美央は素直に感謝を表せる海斗の人柄に静かに惹かれていくのを感じた。


それから、海斗のマンションで家事代行の仕事をする日々が始まった。
彼の部屋を訪れるたびに、美央の心には穏やかな時間が流れた。

そんなある日、美央の夫、寛が海外出張から一時帰国した。
久々の夫婦水入らずの時間のはずだった。

子供が欲しい美央は、この機会を逃したくない一心で、寛に

「あなた・・・。私、子供が欲しいの・・・」

と伝えた。
しかし、寛の反応は美央の期待を裏切るものだった。

「悪い、疲れているんだ」

あっさりと、まるで大したことではないかのように、寛は美央の願いを退けた。

美央の心に、失望と怒りが込み上げた。

「疲れてるって、いつもそうじゃない!私、前から、ずっと子供が欲しいって言ってるのに・・・」

声が震えた。寛も苛立ちを隠せず、

「うるさいな!こっちだって色々大変なんだよ!それにな、お前のことなんて、もう、女として見てないんだよ!」

売り言葉に買い言葉。
しかし、その言葉は美央の心を深く抉った。

――女として見ていない――

その残酷な響きが、彼女のプライドを粉々に砕いた。  

「・・・もういい!!」

激しい口論の末、美央は何も持たずに家を飛び出した。

ヒュゥゥゥゥーーーーー・・・・

外は、まるで彼女の心の中を映し出すかのように、冷たい木枯らしが吹き荒れていた。
行く当てもなく、美央は街を彷徨った。心は絶望と虚無感で満たされていた。  

どれくらい歩いただろうか。


ふと、美央の脳裏に海斗の顔が浮かんだ。


彼の優しさなら、今の自分を受け止めてくれるかもしれない・・・。
衝動に駆られるように、美央は海斗のマンションへと向かった。

深夜、インターホンを押す指先が震えた。


こんな時間に訪ねていくなんて、非常識なことは分かっていた。
しかし、他に頼れる人間が、今、美央には見当たらなかった。

「・・・はーぃ」

インターホン越しに聞こえてきた海斗の声は、少し眠そうだった。

「美央です…。ごめんなさい、海斗くん…」

寒さと焦り、そしてこれまでの出来事のショックで、美央の声は震え、息が切れ切れだった。

「・・・!美央さん!?ちょっと待ってて!今開けるから」  

ウィィィィーン・・・・ガチャ・・・

すぐにエントランスのオートロックが解除される。
美央は重い足取りでエレベーターに乗り、海斗の部屋の前にたどり着いた。

ドアが開くと、心配そうな顔をした海斗が立っていた。
寒さで凍え、涙と憔悴で顔を歪める美央の姿を見た海斗は、一瞬たじろいだものの、すぐに彼女を部屋へと招き入れた。
こうして、木枯らし吹く凍える夜、二人の関係は予期せぬ方向へと動き始めたのだった。  

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