俺、荻原健吾は、上京して半年が経った今も、東京の喧騒に慣れきれずにいた。地方の片田舎から出てきた俺にとって、この街は何もかもが新しく、そして、どこか冷たい。それでも、大学での講義と、生活費を稼ぐための居酒屋のアルバイトに追われる日々は、あっという間に過ぎていった。
俺が住むのは、築年数がそこそこ経過したマンションの一室だ。隣の部屋には、引っ越しの挨拶の時に一度だけ顔を合わせた、年の離れた女性が住んでいる。川野友子さん。それが彼女の名前だった。挨拶の時、俺は緊張しすぎて、ろくに顔も見られなかったけれど、その時に感じたのは、ただならぬ色香だった。豊かな胸が強調される薄手のワンピース。すらりと伸びた手足。そして、何よりも、その場にいるだけで空気を変えるような、圧倒的な存在感。正直、俺のような冴えない大学生が、こんな綺麗な人と隣同士だなんて、柄じゃないと思っていた。

ある日の夜、日付が変わる頃。居酒屋のアルバイトが終わり、重い足取りでマンションへと向かっていた。背中に染み付いた油の匂いと、微かな酒の匂いが、今日の疲れを物語っている。マンションのエントランスが見えてきた頃、少し離れた道端で、突然、優しい声が響いた。
「健吾くん?」
びくり、と肩が跳ねる。聞き覚えのある声。振り向くと、そこに立っていたのは、川野友子さんだった。彼女は、いつも通りの、いや、それ以上に、夜の闇に映える華やかな装いで、俺を見つめていた。その表情は、どこか切羽詰まっているようにも見えた。
「あ、川野さん…お疲れ様です」
俺は慌てて頭を下げた。夜のこんな時間に、一体どうしたんだろう。そんな疑問が頭をよぎった瞬間、友子さんは俺の腕を掴み、小声で囁いた。
「お願い…ちょっと、彼氏のフリして…」
その言葉に、俺は一瞬、思考が停止した。彼氏のフリ?一体何が…?混乱する俺の視線が、友子さんの背後へと向けられた。少し離れた場所に、一人の男が立っている。男は、友子さんの方をじっと見つめていて、その視線には、どことなく執着のようなものが感じられた。ストーカーだ。瞬時にそう理解した俺の心臓は、ドクン、と大きく跳ねた。
友子さんは、俺の腕を掴んだまま、さらに力を込めて引き寄せる。その身体から伝わる熱と、微かに香る甘い香水に、俺の理性の箍が外れそうになる。柔らかく、豊かな胸のふくらみが、俺の腕にぐっと押し当てられ、そのたびに、俺の心臓は激しく波打った。皮膚越しに感じる柔らかな弾力と、女性特有の甘やかな体温が、俺の意識を揺さぶる。友子さんは、顔色一つ変えずに、俺に耳打ちする。
「マンション…知られたくないの…」
彼女の言葉に、俺は頷いた。確かに、こんな状況で自宅を知られてしまうのは、避けたいだろう。俺は友子さんの意図を察し、小さく息を吐いた。そして、決心したように、友子さんの腕をぎゅっと掴み返し、まるで昔からの恋人のように、自然に腕を組んだ。友子さんの柔らかな腕が、俺の腕に触れる。その感触に、俺の頬が微かに熱くなるのを感じた。
「あの…どちらへ?」
俺は努めて平静を装い、友子さんに問いかけた。彼女は、チラリと男の方に視線を送り、そして、俺にだけ聞こえるような小さな声で答えた。
「ラブホテル…知ってるお店があるから…」
ラブホテル。その言葉が、俺の頭の中でこだました。まさか、こんな形で、見知らぬ女性とラブホテルに行くことになるなんて、夢にも思わなかった。しかし、友子さんの緊迫した表情を見て、冗談ではないことを悟った。俺は、友子さんの腕を組んだまま、男に気づかれないように、ゆっくりと歩き出した。背後から感じる男の視線に、俺は無意識に友子さんの身体を自分の方へと引き寄せた。彼女の体温が、まるで暖かなブランケットのように俺を包み込み、妙な安心感を与えた。
ラブホテルまでの道のりは、俺にとって、永遠のようにも感じられた。友子さんは、まるで本当の恋人のように、俺の腕に体重を預け、時には俺の顔を覗き込むように微笑んだ。その度に、俺の心臓は激しく波打ち、全身の血が頭に上るのを感じた。こんなにも美しい女性が、今、俺の隣にいる。それだけで、俺の心は浮ついていた。
「いらっしゃいませ」
ラブホテルのフロントで、友子さんは従業員と親しげに言葉を交わしていた。どうやら、本当に知り合いのようだ。俺は、友子さんの後ろに立ち、彼女の流れるような所作を、ただ見つめていた。その横顔は、夜のライトに照らされて、一層美しく見えた。友子さんは、従業員に何かを耳打ちし、そして、俺の方を振り返った。
「健吾くん、こっち」
友子さんに促され、俺は従業員用の出入り口へと向かった。裏口へと続く通路は、ひっそりとしていて、人の気配は全くない。友子さんは、迷うことなくその通路を進み、俺もその後を追った。アスファルトの冷たい感触が、足の裏から伝わってくる。
「ストーカー、まけたかな…」
外に出た瞬間、友子さんは小さく息を吐いた。俺は、彼女の顔を覗き込む。緊張の糸が切れたのか、その表情には、安堵の色が浮かんでいた。
「たぶん、大丈夫だと思います」
俺はそう言って、彼女の肩をそっと撫でた。その指先から伝わる彼女の肌の柔らかな感触に、俺の胸はまた高鳴った。そのまま二人でマンションまで戻る。マンションの明かりが見えた時、俺の心臓は、またしても大きく波打ち始めた。期待と、少しの不安が入り混じった、複雑な感情だった。
友子さんの部屋の前に着いた時、俺は自分の部屋へと帰ろうとした。しかし、友子さんは、俺の腕を掴んで、引き留めた。
「あのさ…今日のお礼…」
そう言って、友子さんは、つま先立ちになり、俺の頬に、そっと唇を寄せた。
「…ちゅ」
柔らかい感触。微かな甘い香り。短い、けれど、俺の心に深く刻み込まれるキスだった。俺の頬は、一瞬にして熱くなった。火照る頬と、心臓の激しい鼓動が、俺の全身を駆け巡る。友子さんは、俺の顔を見上げ、にかっと笑った。
「またね、健吾くん」
そう言って、彼女は自分の部屋へと入っていった。俺は、その場に立ち尽くし、熱を帯びた頬にそっと触れた。友子さんの唇の感触が、まだそこに残っているような気がした。この日から、俺の心の中で、川野友子という存在が、大きな割合を占めるようになった。彼女の笑顔。彼女の香り。彼女のキス。その全てが、俺の頭の中を駆け巡り、俺は、無意識のうちに、友子さんのことを目で追うようになっていた。授業中も、アルバイト中も、ふとした瞬間に彼女のことが頭をよぎり、胸の奥がキュンと締め付けられるような、甘酸っぱい感覚に襲われた。
ある日の日曜日、朝早く目が覚めた俺は、マンションのごみ出し場へと向かった。パンパンに膨らんだゴミ袋を抱え、重い足取りで共用廊下を歩く。ゴミを捨て終え、自分の部屋へと戻ろうとした時、視界の隅に、見慣れた人影を捉えた。
「…川野さん?」
思わず、声が出た。共用廊下の壁にもたれかかるようにして、友子さんが座り込んでいる。その身体は、ぐったりとしていて、顔色は青白い。近寄ると、彼女の身体から、強烈な酒の匂いがした。
「川野さん、大丈夫ですか?!」
俺は慌てて駆け寄り、彼女の肩を揺さぶった。友子さんは、うっすらと目を開けたものの、焦点が合っていない。
「ん…けんご…くん…?」
呂律の回らない声で、俺の名前を呼んだ。どうやら、相当酔っているようだ。このまま放置するわけにもいかない。俺は、友子さんの腕を自分の肩に回し、ゆっくりと立ち上がらせた。彼女の身体は、驚くほど軽かった。その柔らかな肌が、俺の腕に触れるたびに、電流が走ったように俺の心臓が跳ねる。
「川野さん、部屋に戻りましょう」
俺は、友子さんの身体を支えながら、ゆっくりと彼女の部屋へと向かった。一歩一歩進むたびに、彼女の身体が俺に密着する。柔らかな胸が、俺の腕に触れるたびに、俺の心臓は激しく高鳴った。酒の匂いに混じって、彼女の甘い香水の匂いが、俺の鼻腔をくすぐる。その甘い香りが、俺の理性を少しずつ麻痺させていくようだった。
友子さんの部屋の鍵を開け、ゆっくりと中へと入る。部屋の中は、友子さんの甘い香りで満たされていた。まるで、彼女自身がこの空間に溶け込んでいるかのような、官能的な香りだ。俺は、友子さんを抱きかかえるようにして、ベッドへと連れて行った。友子さんは、そのまま、ドサリ、とベッドの上に倒れ込んだ。
「川野さん、ゆっくり休んでくださいね」
俺は、彼女に毛布をかけようと手を伸ばした。しかし、その手を、友子さんが掴んだ。
「…帰らないで…」
友子さんの声は、まるで子供のように、か細く、そして、切なげだった。その震える声が、俺の胸に直接響く。俺は、彼女の手を優しく撫で、宥めるように言った。
「大丈夫ですよ。俺は隣にいますから。ゆっくり休んでください」
そう言って、俺は手を離そうとした。しかし、友子さんは、さらに強く俺の手を握りしめ、そのまま、俺の身体を自分の方へと引き寄せた。
「やだ…帰っちゃやだ…」
友子さんは、俺の胸に顔を埋め、まるで子供のように、俺にしがみついてきた。その身体は、酒の熱に浮かされていて、熱い。柔らかな感触が、俺の胸に伝わり、俺の理性の歯止めが、少しずつ、緩んでいくのを感じた。彼女の吐息が、俺のシャツ越しに皮膚に触れ、背筋にぞくりとした甘い痺れが走る。
「川野さん…あの…」
俺は、友子さんの身体を、ゆっくりと引き離そうとした。しかし、友子さんは、それを許さない。さらに強く俺を抱きしめ、顔を上げた。その目は、潤んでいて、どこか挑発的な光を宿している。潤んだ瞳が、俺の奥底に潜む獣を呼び起こすようだった。
「健吾くん…」
友子さんの声が、俺の耳元で響いた。その声は、酒に酔っているにも関わらず、どこか甘く、そして、俺を誘惑するような響きを持っていた。吐息が耳朶をくすぐり、全身の毛が逆立つ。俺の身体は、彼女の香りに包まれ、意識が朦朧としてくる。脳裏に、あの日の頬へのキスが、鮮やかに蘇った。彼女の唇の感触。その全てが、俺の理性を、蝕んでいく。抗えない衝動が、俺の身体を支配し始めた。
「…っ」
俺は、無意識のうちに、友子さんの腰に手を回していた。友子さんは、俺の行動を察したのか、満足げに微笑んだ。その笑顔は、まるで俺の全てを見透かしているようで、同時に、全てを受け入れるような、甘い誘惑に満ちていた。その瞬間、俺の理性は、完全に砕け散った。もう、止めることはできない。俺は、友子さんの唇を、熱く求め、そして、何度も、何度も、彼女と求め合った。