体験談

アプリが出会わせた、僕の、大切な人

俺、橋本哲也、52歳。工場長のこの手を、まさか今さら、誰かとの新しい「繋がり」のために使う日が来るなんて、数ヶ月前まで想像もしていなかった。ガコン、ガコン、と鳴り響く機械の音に囲まれて半世紀。汗と油にまみれた日々の中に、ふと訪れた静寂があった。子供たちは独立し、家内は数年前に旅立った。定年まであと数年。このまま一人で、淡々と生きていくのだろうか。そんな漠然とした不安を抱えていた時に、昔馴染みの友人が笑いながら言ったんだ。

「テツヤ、お前もアプリってやつ、やってみろよ。面白い出会いがあるかもぜ?」

最初は抵抗があった。こんな歳のおじさんが、若い奴らが使うもんなんて、と。でも、家に帰って、がらんとした部屋に一人いると、どうしようもなく寂しさが募る。試しに登録してみたアプリの名前は、確か『寄り添い』だったか。プロフィール写真に、照れくさそうに笑う自分の顔を登録した。趣味は「ものづくり」、休日は「近所の散歩」なんて、面白みもない内容。正直、誰かからメッセージが来るなんて期待していなかった。

数日後、通知が鳴った。開いてみると、

「小野陽子さんから『いいね』が届いています」

と表示されている。

陽子さん、48歳、専業主婦。メッセージを開くと、丁寧な自己紹介と、

「テツヤさんのプロフィールの『ものづくり』に興味を持ちました」

と書かれていた。顔写真を見ると、柔らかい笑顔で、目元に優しい皺があった。

恐る恐る、俺もメッセージを返した。

「いいね、ありがとうございます。ものづくりと言っても、工場で機械を相手にしてるだけですが…陽子さんのプロフィール拝見しました。お孫さんの話、素敵ですね」

それからだった。陽子さんとのメッセージのやり取りが、俺の日常に静かに、でも確かに、色を加えていったのは。毎日、仕事が終わってスマホを開くのが楽しみになった。陽子さんからのメッセージが届いていると、それだけで一日の疲れが和らぐ気がした。

陽子さんは、俺の他愛もない工場での出来事にも、興味深そうに耳を傾けてくれた。

「テツヤさんのお仕事、大変そうだけど、日本のものづくりを支えているんですね。尊敬します」

そんな言葉をもらうと、柄にもなく胸の奥が温かくなった。俺も、陽子さんの日常の話を聞くのが好きだった。買い物に行った時の面白い出来事、友達とのランチの話、そして何より、お孫さんの成長ぶり。写真が送られてくるたびに、「かわいいお孫さんですね」と返すのがお決まりになった。

メッセージを重ねるうちに、お互いの過去のこと、これからの人生で何を大切にしたいか、そんな深い話もするようになった。陽子さんも、俺と同じように、人生の波をいくつか乗り越えてきた人だった。だからだろうか、話していると、ああ、この人は俺が感じている孤独や、未来への希望を、同じように理解してくれるんじゃないか、という感覚があった。画面越しの文字だけなのに、陽子さんの声が聞こえるような、温かいぬくもりを感じるようになった。それは、若い頃の「好き」とは違う、もっと穏やかで、じんわりと心に染み渡るような感覚だった。

メッセージで笑い合ったり、時には少し真面目な話をしたり。文字だけなのに、陽子さんの感情が伝わってくるのが不思議だった。絵文字の使い方一つにも、陽子さんの人柄が滲み出ている気がした。俺も、普段は使わないような絵文字を使ってみたりして、少しでも陽子さんに喜んでもらいたい、と思った。

「テツヤさんとお話ししていると、時間が経つのを忘れてしまいます」

陽子さんからのメッセージに、俺も全く同じ気持ちだった。そろそろ、実際に会って話してみたい。そう思うようになったのは、ごく自然な流れだった。

意を決して、「もしよかったら、一度お会いできませんか?」とメッセージを送った時、心臓がドクドクと鳴った。返信が来るまでの数分間が、とてつもなく長く感じられた。

「私も、テツヤさんにお会いしたいです。公園とか、人が多いところなら、安心してお話しできるでしょうか?」

陽子さんからの返信に、思わずスマホを握りしめた。よかった、断られなかった。そして、陽子さんの気遣いが、またしても俺の心を温かくした。

初めて会う場所は、陽子さんの家の近くにある、大きな公園になった。土曜日の午後。指定された時間は、1時。その日が近づくにつれて、どんどん落ち着かなくなっていった。着ていく服を何度も選び直し、髪型を気にし、鏡の前でぎこちない笑顔の練習までしてしまった。まるで、十代の頃に戻ったみたいだ。いや、あの頃よりも、ずっと緊張しているかもしれない。だって、今回は、人生の後半を共に歩むかもしれない相手だ。

約束の時間の10分前に公園に着いた。ベンチに座って待っていると、心臓の音がうるさく聞こえる。遠くから、メッセージで送ってもらった写真によく似た女性が歩いてくるのが見えた。ベージュのカーディガンに、淡い色のパンツ。すらりとした立ち姿だった。陽子さんだ。

立ち上がって、近づいてくる陽子さんに小さく手を振った。陽子さんも俺に気づき、ふわりと優しい笑顔を見せた。写真よりも、ずっと生き生きとして見える。目元に刻まれた皺も、人生の経験がもたらした深みのように感じられた。

「テツヤさん、初めまして」

陽子さんの声は、メッセージから想像していたよりも少し低くて、落ち着いた響きだった。

「陽子さん、初めまして。橋本です」

緊張しながら、俺も名を名乗った。

二人並んでベンチに座り、まずは当たり障りのない会話から始まった。今日の天気のこと、公園に遊びに来ている子供たちの賑やかな声のこと。でも、メッセージで築き上げた土台があるからだろうか、すぐに会話は弾んだ。お互いの第一印象を正直に話したり、メッセージで特に印象に残ったやり取りについて笑い合ったり。

陽子さんは、俺の話を一つ一つ丁寧に聞いてくれた。相槌の打ち方、時折見せる笑顔、その全てが心地よかった。俺も、陽子さんの話に引き込まれた。専業主婦として、家族のために尽くしてきた日々の話。そこには、飾らない、温かい人間性が溢れていた。

「テツヤさんと直接お話しできて、本当に嬉しいです」

陽子さんがそう言って、俺の目をじっと見た。その澄んだ瞳に、俺の姿が映っている。鼓動が速くなった。

「俺もです、陽子さん。メッセージも楽しかったけど、こうして顔を見て話せるのは、やっぱり違いますね」素直な気持ちが口をついて出た。

若い頃のように、ギラギラした情熱ではない。でも、心の奥底から湧き上がってくる、確かな温かさ、そして、この人と人生を分かち合いたいという静かな願望。それが、今の俺の正直な気持ちだった。公園の木漏れ日が、陽子さんの髪をキラキラと輝かせている。まるで、これからの俺たちの未来を祝福してくれているかのようだった。

時間はあっという間に過ぎ、

「もう、こんな時間なんですね」

と陽子さんが名残惜しそうに言った時、俺は思わず

「もう少し、お話ししたいですね」

と口走っていた。陽子さんは、にかっと笑ってくれた。

「私もです、テツヤさん」

初めての公園デートは、お互いの存在を確かめ合う、穏やかで温かい時間だった。別れ際、「また、すぐに会えませんか?」と尋ねると、陽子さんは

「はい、ぜひ」

と頷いてくれた。次に会う約束をして別れた後、一人になった俺は、公園を後にしながら、顔が自然と緩んでいるのを感じた。この出会いが、俺の人生の新しい章を開く予感がした。

公園での最初のデートから、俺と陽子さんの距離は急速に縮まっていった。メッセージのやり取りは、さらに頻繁に、そして親密になった。

「おはよう」

「今日もお疲れ様」

「美味しいもの食べたよ」――

そんな日常の報告に加え、お互いの悩みや、誰にも話せなかった胸の内を明かすことも増えた。陽子さんも、俺が工場で抱えるプレッシャーや、一人になってからの寂しさに、優しく寄り添ってくれた。

「テツヤさんなら、きっと乗り越えられますよ。応援してます」

陽子さんの言葉は、まるで乾いた心に染み込む水のように、俺に力をくれた。陽子さんにとって、俺もそんな存在になれているだろうか? そんなことを考えるだけで、心が満たされていくのを感じた。

二回目のデートは、少し足を伸ばして美術館へ行った。陽子さんが絵が好きだと言っていたからだ。美術については全く詳しくない俺のために、陽子さんは丁寧に作品の説明をしてくれた。絵を見つめる陽子さんの横顔は真剣で、時折

「この色使い、素敵ですね」

と嬉しそうに呟く声が、俺の耳に心地よかった。

展示室を歩いている時、自然と肩が触れ合った。ピクリ、と陽子さんの体が反応した気がしたが、そのまま離れずに歩き続けた。隣に陽子さんがいる。その事実だけで、俺の心は満たされていた。若い頃のような焦りはない。ただ、この温かい時間を、このままゆっくりと育んでいきたい、という穏やかな願いがあった。

ランチは、陽子さんが見つけてくれた、古い町並みにある小さなカフェで摂った。窓から差し込む柔らかな光の中で、陽子さんが楽しそうに話すのを聞いていると、この時間が永遠に続けばいいのに、と思った。パスタをフォークで巻き取る陽子さんの指先、時折こぼれる小さな笑い声。その全てが、愛おしく感じられた。

三回目のデートは、海が見える公園を散歩した。

少し肌寒くなってきた日で、陽子さんが腕をさすった時、思わず「寒くないですか?」と声をかけ、陽子さんの手をそっと握った。陽子さんの指は、思っていたよりもずっと温かかった。柔らかくて、俺のゴツゴツした工場長の手とは全く違う感触だった。

一瞬、陽子さんが驚いたような顔をした後、ぎこちなく、でもしっかりと握り返してくれた。そこには言葉にならない、お互いの想いが込められているような気がした。波の音だけが響く砂浜で、二人、無言で立ち尽くした。握った手から伝わる温かさ。それは、メッセージのやり取りや、言葉を交わすだけでは決して得られない、確かな繋がりだった。俺の心の中で、何かが音を立てて変わっていくのを感じた。これは、単なる「気の合う相手」ではない。もっと深い、特別な感情だ。

「テツヤさんの手、温かいですね」

陽子さんが小さな声で言った。

「陽子さんの手も、柔らかい」

俺はそう答えるのが精一杯だった。恥ずかしさと、喜びと、そしてもっと陽子さんに触れていたいという衝動が、俺の心をぐちゃぐちゃにかき混ぜていた。

その日から、デート中に自然と手をつなぐようになった。美術館でも、カフェでも、街を歩く時も。陽子さんの柔らかい手が、俺の大きな手に包まれている感触。それは、何よりも心安らぐ時間だった。手をつなぐだけで、こんなにも心が通じ合えるなんて、若い頃には考えもしなかった。歳を重ねた今だからこそ分かる、温かさなのかもしれない。

会話の内容も、さらに踏み込んだものになっていった。お互いの家族について、過去の恋愛について、そして将来について。陽子さんは、俺が抱える孤独や、仕事への向き合い方について、深く理解しようとしてくれた。俺も、陽子さんがこれまでの人生で経験してきたこと、これからどう生きていきたいのかを、真剣に聞いた。お互いの弱さを見せ合い、それを受け止め合える関係。それが、何よりも尊いと思った。

陽子さんと一緒にいると、ありのままの自分でいられた。工場で働く時の鎧を脱ぎ捨て、一人の男として、陽子さんの前にいられた。それは、俺にとって初めての感覚だった。

ある日のデートの帰り道、駅のホームで電車を待っている時、陽子さんが少し寒そうに体を震わせた。思わず、陽子さんの肩に手を回し、引き寄せた。陽子さんの華奢な体が、俺の腕の中にすっぽりと収まる。陽子さんは、少しだけ驚いた様子だったが、そのまま抵抗せず、俺の胸に顔を埋めた。

トクン、トクン、と陽子さんの心臓の音が、俺の胸に伝わってくる。俺の心臓も、それに応えるように激しく脈打った。この温かさ、この柔らかさ。もっと、陽子さんに触れていたい。守ってあげたい。そんな衝動が、体の奥底から湧き上がってきた。

「テツヤさん…」

陽子さんの声が、くぐもって聞こえた。

「ん…?」

「ありがとう…ございます」

その言葉に、俺は何も言えなかった。ただ、陽子さんを抱きしめる腕に、そっと力を込めた。駅のアナウンスが遠くに聞こえる。周りにはたくさんの人がいるはずなのに、俺たちの世界には、陽子さんの温もりと、二人の心臓の音だけがあった。

公園での初めての出会いから始まった、穏やかな繋がり。それは、何度かのデートを重ねるうちに、確かな信頼と、そして抗いがたい情熱へと姿を変えていった。陽子さんに触れたい、もっと深く繋がりたい。その想いは、日に日に募っていく。もう、後戻りはできない。俺たちの関係は、次の段階へと進もうとしていた。

駅のホームで陽子さんを抱きしめた瞬間、俺の中で何かのタガが外れた気がした。理屈じゃない、もっと本能的な、陽子さんという存在そのものへの渇望。それは、若い頃の勢い任せな衝動とは全く違う。人生の機微を知り、互いの孤独や希望を分かち合ってきた二人だからこそ感じる、深く静かな、それでいて抗いがたい情熱だった。

「陽子さん…」

俺は、陽子さんの肩に顔を埋めたまま、掠れた声で呟いた。

陽子さんは何も言わなかったけれど、俺の背中に回された陽子さんの腕に、そっと力がこめられたのを感じた。その応えだけで十分だった。

次のデートは、どちらからともなく、お互いの家に行くことになった。俺の提案に、陽子さんは少し戸惑ったようだったが、すぐに

「テツヤさんの手料理、食べてみたいです」

と柔らかく微笑んだ。その笑顔に、俺の胸は期待と少しの不安でいっぱいになった。

俺の部屋に陽子さんを迎えた日。いつもの作業着ではなく、少し小綺麗にした服を着て、何度も部屋を見回した。工場とは違う、生活感溢れる空間。陽子さんは、リビングに入ると「素敵なお部屋ですね。テツヤさんらしい温かさがあります」と言ってくれた。その言葉に、張り詰めていた肩の力が抜けた。

二人でキッチンに立ち、一緒に夕食を作った。陽子さんが野菜を切る手つき、俺がフライパンを振る音。何気ない共同作業なのに、まるで長年連れ添った夫婦のような、穏やかで心地よい時間が流れた。時折、手が触れ合うたびに、ドキリとした。

食卓を囲んで、ゆっくりと食事をした。今日の出来事、仕事のこと、子供のこと、孫のこと。話題は尽きなかった。食事が終わっても、ソファに並んで座り、話は続いた。昼間の明るさとは違う、部屋の照明が落とされた空間で、陽子さんの声は一段と優しく聞こえた。

会話の途中で、陽子さんが俺の顔をじっと見つめた。その瞳の中に、明確な想いが宿っているのを感じた。俺も、陽子さんの瞳を見つめ返した。言葉はなかったけれど、お互いの心の中にあるものが、視線だけで伝わってきた。

「陽子さん…」

「テツヤさん…」

ほとんど同時に、お互いの名前を呼んだ。そして、自然と体が引き寄せられた。陽子さんの柔らかな唇が、俺の唇に触れた。電気のような衝撃が走った。優しくて、温かくて、そして少しだけ震えていた。

深く、長いキスだった。これまでの道のり、画面越しの会話、公園での初めての視線、手をつないだ時の温もり、駅のホームで抱きしめ合った時の鼓動。その全てが、このキスに集約されているようだった。唇だけでなく、心と心が触れ合っている。そんな感覚だった。

キスを終えて、陽子さんは少し顔を赤らめて俺の胸に顔をうずめた。俺は陽子さんの華奢な肩を抱き寄せ、その柔らかさを全身で感じた。この腕の中に、陽子さんがいる。現実だ。夢じゃない。

「テツヤさん…私…」

陽子さんの声が、小さく震えていた。

「大丈夫だよ、陽子さん」

俺は、陽子さんの背中を優しく撫でながら言った。「俺も、同じ気持ちだから」

陽子さんが顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめた。その瞳の中に、確かな愛情と、そして少しの不安が見えた。歳を重ねてからの新しい関係。色々な迷いや葛藤があるだろう。でも、それを乗り越えてでも、陽子さんと一緒にいたい。そう強く思った。

その夜、俺たちは一つになった。若い頃のような激しさではなく、もっと丁寧で、お互いを慈しむような、温かい時間だった。陽子さんの体の柔らかさ、肌の温もり、そして心からの吐息。その全てが、俺の心と体に深く染み渡っていった。陽子さんの髪を撫で、背中を優しくさすり、耳元で「ありがとう」と囁いた。陽子さんも、俺の首に腕を回し、ギュッと抱きしめ返してくれた。

体の繋がりは、決して目的ではなかった。陽子さんと築き上げてきた信頼関係、心の繋がりが、自然とこの場所へと導いてくれたのだ。心と体が溶け合い、俺たちは文字通り「一つ」になった。それは、何よりも満たされた、安らぎの時間だった。

翌朝、陽子さんの寝顔を見ながら、俺は静かに誓った。この温かい繋がりを、大切に育てていこう。陽子さんと一緒に、残りの人生を歩んでいこう。一人では見られなかった景色を、陽子さんと二人で見ていこう。

陽子さんが目を覚まし、俺と目が合った時、ふわりと天使のような笑顔を見せた。

「おはようございます、テツヤさん」

その声は、前夜よりも一段と甘く、そして安心しきっているように聞こえた。

「おはよう、陽子さん」

俺も笑顔で答えた。握った陽子さんの手は、昨夜以上に温かく、そして柔らかかった。

マッチングアプリで始まった俺たちの恋。それは、孤独を埋めるためのツールなんかじゃなかった。人生の後半で、本当に心を分かわせ合える相手と巡り合うための、素晴らしいきっかけだった。陽子さんと出会って、俺の人生は再び輝き始めた。これから、陽子さんとどんな日々を過ごしていくのだろうか。想像するだけで、胸が高鳴る。

人生に、遅すぎるなんてことはない。もしあなたが今、孤独を感じているなら、新しい出会いを求めているなら。一歩踏み出してみる勇気を持ってみてほしい。きっと、あなたの人生も、思わぬ輝きを取り戻すはずだから。俺と陽子さんのように。

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