夜が更け、二人の間に流れる時間は、言葉を必要としない、深い安らぎに満ちていた。友子さんの寝息が、規則正しく聞こえてくる。俺は、彼女の寝顔を眺めながら、この幸福が永遠に続くことを願った。そして、俺は、彼女の額にそっとキスを落とした。明日は、きっと、今日よりも素晴らしい一日になるだろう。俺たちの新しい生活は、まだ始まったばかりだ。
友子さんが、新しい仕事を探し始めてから、数週間が経った。最初は、慣れない就職活動に戸惑い、何度か挫けそうになっている彼女を支える日々だった。履歴書の書き方を一緒に考えたり、面接のシミュレーションをしたり。俺も、友子さんの力になろうと、大学のキャリアセンターで就活のアドバイスを受け、それを友子さんに伝えることもあった。
ある日、友子さんの部屋で、昼食を摂っていた時、彼女のスマホが鳴った。友子さんは、その着信画面を見て、一瞬、びくりと身体を震わせた。見慣れない企業からの電話だろうか。俺も、思わず息を呑んだ。
「…もしもし」
友子さんは、緊張した面持ちで電話に出た。俺は、彼女の顔をじっと見つめる。彼女の表情が、電話越しの相手の言葉を聞くにつれて、少しずつ、しかし確実に明るくなっていくのが分かった。緊張していた顔に、安堵の色が浮かび、やがて、小さな喜びが滲み出る。
「…はい!…はい!ありがとうございます!…はい、はい…」
友子さんの声が、弾んでいく。俺は、何も言わずに、ただその様子を見守っていた。電話を切った友子さんは、俺の方を振り向き、満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、これまで見た中で、一番輝いていた。
「健吾くん!私、決まった!新しい仕事、決まったの!」
友子さんは、喜びを抑えきれない様子で、俺に飛びついてきた。俺は、彼女の身体をしっかりと受け止め、その頭を優しく撫でた。
「おめでとう!友子さん!本当に良かったね!」
俺も、自分のことのように嬉しかった。彼女が、どれだけこの日を待ち望んでいたか、知っていたからだ。俺たちは、喜びを分かち合うように、強く抱きしめ合った。友子さんの身体から伝わる熱が、俺の心にも温かく広がる。
友子さんが決まったのは、都心にある小さなデザイン事務所の事務職だった。未経験からのスタートだったが、彼女の真面目さと、人柄が評価されたのだと、友子さんは嬉しそうに話してくれた。俺は、彼女が自分の力で、新しい道を切り開いたことに、心から尊敬の念を抱いた。
新しい仕事が始まって、友子さんは、最初は戸惑うことも多かったようだ。慣れない環境、覚えることの多さ、そして、今までとは全く違う人間関係。夜、俺の部屋に来て、疲れた顔で「今日はこんなことがあってね…」と話してくれることもあった。俺は、ただ黙って彼女の話を聞き、時には、彼女の肩を揉んでやった。彼女の頑張りを、俺は全力で支えたいと思った。
「慣れないことばかりで、大変だよね」
俺がそう言うと、友子さんは、少しだけ寂しそうな顔で、俺の腕に寄りかかった。
「うん…でもね、健吾くんがいてくれるから、頑張れるんだ」
彼女の言葉に、俺の胸は熱くなった。俺が、彼女の支えになれている。その事実が、俺に大きな喜びを与えた。
友子さんが新しい仕事に慣れていくにつれて、俺たちの生活リズムも、少しずつ変化していった。以前のように毎日会うことは難しくなったけれど、会える時には、その分、濃密な時間を過ごした。週末には、二人で都心へ出かけたり、少し足を延ばして小旅行に行ったりすることもあった。
ある週末、俺たちは、横浜の中華街を訪れていた。熱気あふれる街を歩きながら、友子さんは、目を輝かせていた。美味しそうな中華料理を前に、目をキラキラとさせている友子さんは、まるで子供のようだった。
「わー!健吾くん、あれ見て!可愛いパンダまん!」
友子さんが、指差す先には、可愛らしいパンダの顔をした肉まんが並んでいた。俺は、友子さんの手を取り、その店へと向かった。二人で、熱々のパンダまんを頬張りながら、他愛のない会話をする。
「美味しいね!」
友子さんが、満面の笑みで俺に言った。その笑顔を見るたびに、俺の心は満たされていく。
「うん、友子さんと一緒に食べると、何でも美味しく感じるよ」
俺は、少し照れながらも、素直な気持ちを伝えた。友子さんは、俺の言葉に、少しだけ頬を赤らめ、嬉しそうに微笑んだ。その瞬間、俺は、この人の笑顔を、ずっと見ていたいと思った。
中華街を散策し、お土産を選んだ後、俺たちは、港の見える丘公園へと向かった。夕暮れ時、空はオレンジ色に染まり、遠くにはベイブリッジのシルエットが見える。潮風が、俺たちの髪を優しく撫でる。
「綺麗だね…」
友子さんが、俺の肩にもたれかかり、そう呟いた。その声は、心からの安らぎに満ちていた。
「うん。友子さんと見る景色は、最高だ」
俺は、友子さんの手を握り、そっと力を込めた。彼女の手から伝わる温もりが、俺の心を温かく満たす。
「ねえ、健吾くん」
友子さんが、顔を上げて俺を見つめた。その瞳は、夕焼けの光を浴びて、キラキラと輝いていた。
「ん?」
「私ね、健吾くんと出会えて、本当に良かった。健吾くんが、私を変えてくれた」

友子さんの言葉に、俺の胸は熱くなった。俺が、彼女にとって、そんな存在になれている。その事実が、俺に大きな喜びと、そして、責任感を与えた。
「友子さんがいてくれたから、俺も変われたんだよ。友子さんのおかげで、俺も、ちゃんと未来を考えられるようになった」
俺は、友子さんの髪を優しく撫で、その頬にそっとキスをした。彼女の唇が、柔らかな感触で俺の頬に触れる。その温かさに、俺は、幸福を感じた。
俺たちの関係は、ただの恋人というだけではなかった。互いを支え合い、共に成長していく、そんな深い絆で結ばれていた。友子さんが新しい仕事に慣れ、生活が安定してくるにつれて、俺たちの未来に対する具体的な話も増えていった。
「ねえ、健吾くん。私たち、いつか一緒に住みたいね」
ある夜、友子さんが、俺の部屋で、そう言った。俺は、その言葉に、驚きと同時に、胸が高鳴った。一緒に住む。それは、俺も漠然と考えていたけれど、具体的な言葉として聞くと、現実味が帯びてくる。
「うん。俺も、そう思ってた」
俺は、友子さんの手を握り、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「でも…その前に、健吾くんの就職も決まらないとね」
友子さんが、少しだけ心配そうな顔で言った。俺は、大学三年生。そろそろ本格的に就職活動を始めなければならない時期だった。
「うん。大丈夫。友子さんが頑張ってるんだから、俺も頑張れる。友子さんと一緒に住むためにも、ちゃんと就職先を見つけるよ」
俺は、友子さんの手をぎゅっと握り返し、力強く言った。彼女の不安を打ち消すように、俺の決意を伝えたかった。友子さんは、俺の言葉に、安心したように微笑んだ。
それから、俺の就職活動は、本格的に始まった。説明会に参加し、エントリーシートを書き、面接に挑む日々。思うようにいかないことも多く、落ち込むこともあったけれど、友子さんの存在が、いつも俺を支えてくれた。
友子さんは、俺の就職活動を、本当に献身的に支えてくれた。面接の練習に付き合ってくれたり、疲れて帰ってきた俺のために温かい夕食を作ってくれたり。時には、俺が弱音を吐くと、黙って隣に座って、ただ俺の話を聞いてくれた。彼女の存在が、俺の心の支えだった。
ある日、俺は、志望していた企業から内定をもらうことができた。その報告を友子さんにすると、彼女は、まるで自分のことのように喜んでくれた。
「健吾くん!おめでとう!本当に良かったね!」
友子さんは、満面の笑みで俺に飛びついてきた。俺は、彼女を抱きしめ、喜びを分かち合った。この喜びを、一番最初に伝えたい相手は、友子さんしかいなかった。
「ありがとう、友子さん。これも、友子さんが支えてくれたおかげだよ」
俺は、心からの感謝を伝えた。彼女がいてくれたからこそ、俺は、この内定を勝ち取ることができたのだ。
俺の就職先が決まり、友子さんの新しい仕事も軌道に乗った。二人の未来は、確実に、そして明るく開けていった。俺たちは、一緒に住むための部屋探しを始めた。二人で過ごす新しい生活を想像するだけで、俺の心は躍った。
週末には、不動産屋を巡り、インターネットで物件を探す。間取りや家賃、駅からの距離。色々な条件を話し合いながら、二人の理想の部屋を探した。友子さんは、俺の意見を尊重しつつ、女性らしい視点で、様々な提案をしてくれた。
「このキッチン、広くて使いやすそうだね!健吾くん、ここで私の焦げ付きハンバーグ、もっと作ってあげるね!」
友子さんが、冗談めかしてそう言うと、俺は笑って、彼女の頭をくしゃっと撫でた。
「楽しみにしてるよ。友子さんの作るものなら、何でも美味しいから」
そんな他愛のない会話をしながら、俺たちは、少しずつ、新しい生活への期待を膨らませていった。
そして、ついに、俺たちは、理想の部屋を見つけることができた。少し広めのワンルームで、日当たりも良く、最寄りの駅からも近い。何よりも、二人で新しい生活を始めるのに、最適な場所だと感じられた。
引っ越しの日。俺たちは、協力して荷物を運び込んだ。小さな家具や段ボールが、少しずつ新しい部屋を満たしていく。汗をかきながらも、二人の顔には、笑顔が絶えなかった。
「疲れたね、友子さん」
「うん…でも、楽しいね、健吾くん」
友子さんが、俺の隣で、そう言って微笑んだ。その笑顔は、これまでのどんな苦労も、全て報われるような、そんな温かさを持っていた。
夜、全ての荷物を運び終え、部屋に明かりを灯した時、俺たちは、新しい生活の始まりを実感した。まだ何もない部屋だけれど、ここから、俺たちの歴史が刻まれていくのだ。
「友子さん…」
俺は、友子さんの手を握り、その瞳を見つめた。彼女の目も、俺の目をじっと見つめ返している。
「これから、よろしくね」
俺がそう言うと、友子さんは、満面の笑みで頷き、俺の胸に飛び込んできた。
「うん!よろしくね、健吾くん!」
新しい部屋での、最初の夜。俺たちは、互いの存在を確かめ合うように、強く抱きしめ合った。窓の外には、満月が輝き、俺たちの新しい未来を、優しく照らしているようだった。