体験談

琥珀色のカウンターで、愛を知る

俺、片山修平、37歳。

夜の帳が下りた街で小さなバーを営んでいる。
カラン、とグラスに氷が触れる乾いた音、静かに流れるジャズ、琥珀色の液体が照明を反射するカウンター。
ここが俺の居場所であり、戦場でもある。

毎日が同じようでいて、来る客によって空気は変わる。
そんな日常に、少しだけ、ほんの少しだけ飽きていたのかもしれない。

スマホの画面に、見慣れない通知。マッチングアプリ。
そういえば、気まぐれに登録してみたんだっけ。
開いてみると、「辻希美さんから「いいね!」が届いています」の文字。

辻希美、31歳、デザイナー。プロフィール写真の彼女は、派手じゃないけど目を引く、知的な雰囲気を纏っていた。
特に、少し伏し目がちに見える瞳の奥に、何かを秘めているような、そんな印象を受けた。
バーの仕事柄、人の顔色や雰囲気を読むのは得意な方だ。
彼女には、興味をそそられる何かがあった。

メッセージを交換し始めた。

夜型の俺と、クリエイティブな仕事で朝もそれなりに早いらしい希美さん。
生活リズムは正反対なのに、会話は驚くほど弾んだ。
俺のバーの話、彼女のデザインの話。お互いの「当たり前」が、相手にとっては新鮮らしい。

「修平さんの仕事って、なんだかかっこいいですね。夜の世界、未知です。」

「希美さんの作るもの、見てみたいです。どんなものをデザインしてるんですか?」

なんてやり取りが続いた。
画面越しの文字情報だけなのに、彼女の声が、表情が、少しずつ脳内に形作られていくのが分かった。

「一度、お店に行ってもいいですか?」

希美さんからのそのメッセージを見た時、心臓が一瞬跳ねた。

ついに来たか、という期待と、実際に会うことへのほんの少しの緊張。
バーという俺のホームグラウンドで会うのは、ある意味有利だけど、逆に仕事モードからプライベートへの切り替えが難しそうでもあった。

約束の日。

店の扉を開けて彼女が入ってきた時、俺はカウンターの中でグラスを磨いていた。
カランコロン、という氷の音だけが響く静かな空間に、新しい気配が滑り込んだ顔を上げて、息を呑んだ。

写真よりも、ずっと。ずっと魅力的だった。

真っ直ぐな眼差し、すっと通った鼻筋、そして口元にかかる微かな笑み。
洗練されているのに、どこか親しみやすい雰囲気。

「修平さん、こんばんは。」

彼女の声は、メッセージで想像していたよりも少し低く、落ち着いていた。

「いらっしゃいませ、希美さん。会えて嬉しいです。」

内心の動揺を隠して、精一杯穏やかな声を出す。

カウンターの角に座るよう促すと、彼女は自然な仕草で椅子に腰掛けた。
初めての客じゃないのに、初めての客のような新鮮な感覚があった。

何を飲むか聞くと、

「お任せで」

と微笑んだ。

その笑顔に、また少し心臓がざわつく。
彼女の雰囲気に合うカクテルを考えながら、シェイカーを手に取った。

氷と液体が混ざり合う音。
バーテンダーとしての俺の動きを、希美さんはじっと見つめていた。
その視線を感じるだけで、指先に微かな熱が宿るようだった。

「綺麗ですね・・・」

出来上がったカクテルを差し出すと、希美さんは目を丸くして言った。

「ありがとうございます」

短いやり取りだったけど、そこに確かに生まれた親密さのようなものを感じた。

それから、他にお客様もいたけれど、俺たちの会話はカウンターを挟んで続いていった。
仕事のこと、趣味のこと、学生時代の話。

希美さんは聞き上手で、俺の話をじっと、真剣に聞いてくれた。
その間も、俺は彼女から目を離せなかった。
時折、彼女が髪を耳にかける仕草や、笑った時に目尻にできる僅かな皺、グラスを持つ細い指先に目が留まる。
一つ一つの動きが、俺の中の何かを少しずつ溶かしていくようだった。

彼女も、俺を観察しているのが分かった。
シェイカーを振る手つき、お客様と話す時の表情、そして、きっと俺の目線の動きも。
お互いを探り合うような、でも嫌な感じじゃない、心地よい緊張感。
それはまるで、静かな水面に波紋が広がっていくような、緩やかだけど確実な変化だった。

気づけば、店内の他のお客様は帰り、残っているのは俺と希美さんだけになっていた。

ジャズの音だけが、静かに空間を満たしている。
照明を少し落とした店内に、二人の呼吸だけがあるような錯覚に陥った。
時計の針は、てっぺんを回っていた。

「楽しい時間はあっという間ですね。」

希美さんがグラスの残りを飲み干して言った。
その言葉に、寂しさが滲んでいるように聞こえたのは、俺の願望だったのかもしれない。

「そうですね。もう少し、お話しませんか?」

閉店後の静けさの中で、その言葉がやけに大きく響いた。
希美さんの瞳が、ふっと揺れた。そして、ゆっくりと頷いた。
その仕草一つで、俺の中に確かな熱が灯ったのを感じた。

ただの期待じゃなく、もっと確かな、予感めいた熱が。

カウンターを回り込み、希美さんの隣に立つ。

昼間の喧騒とは全く違う、夜の終わりの静けさ。
二人の距離が、物理的にも心理的にも、急速に縮まっていくのを感じた。

この洗練された空間が、今、俺たちの密室になろうとしていた。
そして、その密室で何が起こるのか、俺はもう止める術を知らなかった。

いや、止めたくなかった。

希美さんも、きっと。そう、信じたかった。
心臓が高鳴るのが自分でもわかる。
彼女に聞こえていないか、少しだけ心配になるほどに。

「修平さん…」

希美さんが俺の名前を呼んだ。

その声は、昼間とは違う、少し甘えを含んだ響きだった。
その声を聞いた瞬間、俺の理性は溶けて消えた。
この腕の中に、今すぐ彼女を閉じ込めたい。
この熱を、伝えてしまいたい。もう、何も考えられなかった。

希美さんの声が、張り詰めた空気の中で響いた。
その呼びかけに、俺の中の最後の理性が吹っ飛んだ。
距離はもうゼロだった。

カウンターの冷たい感触が背中にあったけれど、それ以上に希美さんの熱が、すぐそばにあった。
彼女の頬が、ほんのりと赤く染まっているのが分かる。
伏し目がちだった瞳が、今はまっすぐに俺を見上げていた。
その瞳の奥に、俺と同じ熱を見つけた気がした。

気づけば、俺の右手が、希美さんの頬に触れていた。
吸い付くように柔らかい肌。指先から、電流のようなものが走った。

彼女は目を閉じ、そっと顔を寄せてきた。
抵抗も拒絶もない、むしろ、もっと深く触れてほしいと願っているような仕草だった。

「希美さん…」

もう、言葉はいらなかった。
俺は引き寄せられるように、彼女の唇に自分の唇を重ねた。

初めての感触。

柔らかくて、少しだけ震えていた。

最初は戸惑うような、探るようなキスだったけれど、すぐにそれは熱を帯びていった。

彼女の唇が、俺の唇に応えるように動き出す。
甘くて、少し苦い、カクテルの余韻のような味がした。

息をするのも忘れるくらい、深く、深く。

舌が触れ合った瞬間、身体中に稲妻が走った。
頭の中が真っ白になる。

今、世界には俺と希美さんしかいない。
この静かなバーの中、二人の吐息だけが熱を帯びて絡み合った。

希美さんの腕が、俺の首に回された。
華奢な指が、俺の髪を優しく梳く。
その度に、背筋がゾクゾクとした。

もっと、もっと深く。

止められない衝動が、身体を駆け巡る。

俺の左手は、彼女の腰に回っていた。
薄い生地越しに伝わる体温が、異常なほど熱く感じた。

キスが終わり、顔を離す。
二人の間には、荒い呼吸だけが残った。

見つめ合う瞳の中に、欲望と、それと同じくらいの戸惑いと、そして、確かな愛情の光が宿っていた。

「ここ、カウンター…ですよね?」

希美さんが、熱に浮かされたような声で呟いた。

「うん。俺の、大切な場所。」

俺は彼女の手を取り、カウンターの中から外へと導いた。

慣れ親しんだバーの空間が、今日は全く違って見えた。
いつもは客を迎える場所なのに、今は、俺たちの秘密の場所に変わっていた。

店の奥にある、普段は誰も立ち入らない休憩スペースへ。

と言っても、簡単なソファとテーブルがあるだけの簡素な場所だ。
でも、この瞬間、そこが俺たちにとって世界の中心になった。

ソファに二人で腰を下ろす。

隣り合う距離が、再び俺たちの心臓を早鐘のように打たせた。
さっきのキスが、余韻となって全身を駆け巡っている。

希美さんの手が、恐る恐る、俺の手に触れてきた。
その指先が、まるで初めて触れるかのように新鮮で、温かかった。

「メッセージだけじゃ、分からなかったこと、たくさんありますね。」

希美さんが、少し照れたように言った。

「俺もだよ、希美さん。実際に会えて、本当に嬉しい。」

正直な気持ちだった。

画面越しの想像を遥かに超える、彼女の存在感に圧倒されていた。
そして、この触れ合いが、単なる遊びではないことを、二人とも本能的に感じ取っていた。

再び、惹かれ合うように身体が近づく。

今度は、もっとゆっくりと、お互いを確かめ合うように。
唇が触れ合い、そのまま深くなっていく。
さっきよりも、もっと切なくて、もっと情熱的なキス。

俺の腕が、希美さんの身体を抱き寄せた。

華奢な身体なのに、抱きしめるとしっかりと重みがある。
その体温が、俺の胸に直接伝わってくる。
彼女の心臓の鼓動が、俺の鼓動と重なっていくのが分かった。

ドキドキ、ドキドキ。

同じリズムを刻んでいる。

指先が、希美さんの背中をゆっくりと撫でる。
薄いシャツ越しの滑らかな肌の感触に、ゾクゾクとした快感が走った。

彼女は小さく喘ぎ、俺のTシャツをぎゅっと掴んだ。
その仕草が、たまらなく愛おしかった。

ソファに身体を倒す。

希美さんが、俺の上に覆いかぶさるような形になった。
照明は落としてあるけれど、窓から差し込む街灯の光が、彼女の顔を淡く照らしていた。
潤んだ瞳、少し開いた唇、熱い吐息。
全てが、俺を理性の限界まで追い詰める。

「希美さん…綺麗だ…」

心の底からの言葉だった。

外見だけでなく、内面から溢れ出るような、彼女自身の輝き。
それに、俺は完全に魅了されていた。

彼女は何も言わず、ただ俺を見つめたまま、ゆっくりと顔を近づけてきた。
再び唇が重なる。
今度は、先ほどよりもずっと求め合うような、激しいキスになった。
舌が絡み合い、お互いの全てを吸い尽くしたいと願うように。

指先が、彼女のシャツのボタンに触れた。

一つ、また一つと外していく。
ボタンが外れるたびに、新しい世界が開けていくような、抗いがたい興奮があった。
露わになる柔らかな肌。
視覚から入る情報が、そのまま全身の熱に変わる。

彼女も、俺のシャツの裾に手を伸ばした。
ぎこちないながらも、シャツを脱がせようとしてくれる。
その一生懸命な仕草に、愛おしさが募った。
手伝うように、俺もシャツを脱いだ。

裸の肌が触れ合った瞬間、今まで感じたことのないほどの熱が駆け巡った。
希美さんの身体が、俺の熱を受け止めるようにピタリと寄り添う。
柔らかくて、温かくて、俺の身体の一部のように感じた。

「修平さん…」

再び名前を呼ばれた。
今度は、喘ぎにも似た、甘い声だった。
その声に導かれるように、俺は彼女の全てを求めた。

理性はもう、どこにもなかった。
ただ、この瞬間、この場所で、彼女と一つになりたいという純粋な欲望だけが、俺を突き動かしていた。

身体中の血液が沸騰しているようだった。
触れる場所全てから伝わる熱。肌と肌が擦れる音。荒い呼吸。
全ての感覚が研ぎ澄まされ、希美さんの存在だけを捉えていた
。彼女の身体の曲線、髪の香り、肌の滑らかさ。その全てが、俺を狂わせる。

もう、我慢なんてできなかった。
この熱を、この想いを、全て彼女に伝えたい。
そして、彼女の全てを受け止めたい。

二人の身体が、まるで磁石に引き寄せられるように、強く、求め合った。

身体が、求め合うままに重なった。
希美さんの肌は驚くほど滑らかで、触れるたびに全身が痺れるような快感が走った。
一つになる瞬間、理性も思考も全てが消え去った。
あったのは、希美さんの熱と、俺の熱。
そして、お互いを貪るような、純粋な欲望だけだった。

「んっ…」

希美さんの甘い喘ぎ声が、耳元で響く。
それが、俺をさらに深くへと突き動かした。

初めての感触は、想像を遥かに超えていた。
柔らかくて、温かくて、まるで自分の身体の一部が、ずっと探し求めていた場所を見つけたような、そんな感覚だった。

ゆっくりと、しかし確実に、俺たちのリズムが生まれていく。
荒い呼吸が混ざり合い、肌が触れ合う音だけが、静かな空間に響いた。

希美さんの指が、俺の背中を掻きむしる。
その痛みすら、快感に変わるほど、俺は彼女に夢中になっていた。

顔を近づけ、彼女の瞳を見つめる。
潤んで、蕩けたようなその瞳には、俺だけが映っていた。
その事実に、どうしようもなく胸が締め付けられた。

これは、ただの衝動なんかじゃない。
この瞬間、俺は確かに、希美さんの全てを受け止めたいと願っていた。
そして、俺の全てを彼女に捧げたいと。

身体が動くたびに、甘い痛みが走る。
それは、快感と混ざり合い、俺たちを現実から遠ざけていった。
どこまで深く潜れるのか、その限界を知りたかった。
希美さんも同じように、俺にしがみつくようにして、応えてくれていた。

「しゅう・・・へい…」

途切れ途切れに呼ばれる俺の名前。
その響きが、俺の鼓膜を震わせ、直接心臓に響いた。

力が全身から漲ってくる。もっと、もっと希美さんを感じたい。身体の奥深くまで、彼女で満たされたい。

やがて、快感が波のように押し寄せてきた。
全身の力が抜けていくような、抗いがたい衝動。
希美さんも同じように、身体を震わせ、俺の腕の中で小さく叫んだ。

一つの大きな波が過ぎ去り、俺たちはゆっくりと静寂の中に戻った。
重なり合ったまま、二人の荒い呼吸だけが聞こえる。
汗で濡れた肌が、心地よく貼り付いた。
心臓が、まだ早鐘のように打っている。

そのまましばらく、動けなかった。
ただ、抱き合ったまま、お互いの体温を感じていた。
この身体の繋がりが、心まで一つにしたような気がした。

バーの奥の、簡素なソファの上。
ここが、俺たちにとっての始まりの場所になった。

「…希美さん。」

掠れた声で、名前を呼ぶ。
希美さんは、俺の胸に顔を埋めたまま、小さく頷いた。

髪から、甘い香りがする。
汗の匂いと混ざり合って、俺だけの特別な香りになった気がした。

「大丈夫?」

「…うん。」

短い会話だったけれど、そこに込められた安心感と、満たされた感覚は大きかった。

身体の熱が、ゆっくりと落ち着いていくのを感じる。
代わりに、心の奥底から温かいものが湧き上がってきた。

夜が明けるのが、少しずつ近づいてきているのが分かった。
窓の外が、ほんのりと明るみ始めている。
街灯の光も、弱くなってきた。
静かなバーの中に、夜明け前の、特別な空気が流れ込んでくる。

身体を離し、希美さんの顔を見る。

まだ少し熱が残る頬、キスで僅かに腫れた唇。
そして、真っ直ぐな、でもどこか幼いような瞳。
その瞳に映る自分の顔は、きっといつものバーテンダーの顔とは全く違うだろう。

「寒くない?」

俺は脱いだシャツを拾い上げ、彼女の肩にかけた。
希美さんは、されるがままにシャツを受け取り、俺にもう一枚のシャツを差し出した。
その自然なやり取りが、何故か胸に響いた。

二人でゆっくりと立ち上がり、服を着る。
さっきまで剥き出しだった肌が、再び布に覆われる。
でも、肌と肌が覚えた熱と感触は、まだ鮮明に残っていた。

休憩スペースを出て、店のカウンターに戻る。

朝の光が、埃の粒子をキラキラと光らせていた。
昨日まで当たり前だった店の風景が、今日は違って見える。
全てが、希美さんと共有した時間によって、色づいたような気がした。

希美さんは、カウンターの椅子に座り、カバンから何かを取り出した。

小さなポーチと、手鏡。慣れた手つきで、メイクを直している。
その仕草を見ていると、昨夜の激しい時間は、夢だったんじゃないかという錯覚に陥りそうになった。
でも、身体に残る僅かな痛みと、胸の奥の温かさが、それが現実だったと教えてくれる。

メイクを終えた希美さんが、鏡の中の自分を見て、小さくため息をついた。

「すごい顔してるかも…」

その言葉に、思わず笑みがこぼれた。

「綺麗だよ、希美さん。」

心からの言葉だった。
昨夜よりも、さらに綺麗になった気がする。
内側から輝きが増したような。

希美さんが、俺の目を見て、ふっと微笑んだ。
その笑顔は、アプリの写真とも、店で会った時とも違う、柔らかくて、素直な笑顔だった。

「ねぇ、修平さん。」

「ん?」

「また、来てもいい?」

その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓はまた、大きく跳ねた。
当たり前だろ、とすぐにでも言いたかったけれど、声にはならなかった。
ただ、強く、深く頷いた。

「もちろん。いつでも。」

希美さんは、満足そうに微笑んだ。

「朝ごはん、一緒にどうですか?美味しいお店、知ってるんです。」

夜型の俺と、朝型の希美さん。
生活リズムは違うけれど、こうして一緒に朝を迎えることができる。
それは、アプリでマッチングしただけでは決して得られなかった、現実の、温かい繋がりだった。

「行こうか、希美さん。」

俺たちは二人でバーを出た。

夜の顔から朝の顔へと移り変わる街の空気は、少し冷たかったけれど、俺たちの心の中には、熱が満ちていた。

出会い系サイトで始まった恋が、この夜明け前のカウンターで、確かに愛へと変わった。
この先、どんな日々が待っているかは分からない。でも、隣に希美さんがいる。
それだけで、俺はもう、何も怖くない。新しい朝が、二人の始まりを優しく照らしていた。

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