絡み合う糸
大山悠馬は、自身の才能を信じて疑わない男だった。
28歳にしてグラフィックデザイナーとして名を馳せ、手掛けたプロジェクトは常に話題を呼んだ。
だが、彼を突き動かす原動力は、単なる承認欲求ではなかった。
それは、世界を自らの手で支配したいという、抑えきれない傲慢な衝動だった。
彼の内に渦巻くその感情は、まるで漆黒の深淵のようで、一度足を踏み入れた者を決して逃がさない。
「悠馬、これ、本当にこの色でいくの?」
隣で不安げに画面を覗き込むのは、坂井菜々、26歳。
彼女はファッションデザイナーとしての才能もさることながら、その柔らかな曲線を描く身体が、悠馬の支配欲を刺激してやまなかった。
今日の彼女は、胸元が開いたオフホワイトのデザインシャツに、ウォッシュ加工されたタイトなデニムを穿いている。

しかし、鎖骨の繊細なラインや、胸の谷間、デニムに包まれた引き締まったヒップの丸みが、悠馬の視線を吸い寄せ、彼の中の獣を呼び覚ます。
オフィスチェアに座る彼女の姿勢は、どこか遠慮がちで、それがさらに悠馬の征服欲を煽った。
「もちろん。菜々のデザインには、この情熱的な赤が一番映える。それに、この赤は…菜々の肌の色を、最高に際立たせる」
悠馬はあえて菜々の耳元で囁いた。
彼の吐息が、彼女の耳朶をかすめ、ゾクリと粟立つ鳥肌が菜々の首筋に走るのが見えた。
その反応こそが、悠馬にとって最高の興奮剤だった。
彼の指先が、ディスプレイ上の色彩を弄ぶように、ゆっくりと菜々の指先に触れる。
一瞬、彼女の指が震え、そして絡みつく。まるで誘惑に抗えないかのように。
悠馬は満足げに、にやりと笑った。この女は、自分がいないと生きていけないことを、とうの昔に悟っている。
その脆さが、彼にとっては甘美な餌だった。
「…っ、悠馬」
菜々の声は、いつもよりも湿っていた。
彼女の瞳は、不安と期待が入り混じり、揺れている。
悠馬はゆっくりと椅子を立ち、菜々の前に立つ。彼女の華奢な肩に手を置き、その身体を自分の方へと引き寄せた。
Tシャツ越しにも伝わる柔らかな感触。悠馬の指が、ゆっくりとTシャツの裾から滑り込み、菜々の素肌を撫でる。
背筋に熱い電流が走ったかのように、菜々の身体がピクリと反応する。
「ふ、んっ…」
菜々の小さな吐息が、悠馬の耳をくすぐる。
背中に回した悠馬の腕が、彼女の身体を一層強く抱きしめた。身体と身体が密着し、お互いの熱が伝わり合う。
菜々の鼓動が、自分の胸に直接響いてくるかのようだ。
「菜々、お前は俺のものだ」
悠馬の囁きは、まるで呪文のように菜々の心に染み込んでいく。
彼女は知っている。悠馬の才能に惹かれ、彼が作り出す世界に魅了されている自分を。
彼のデザインは、常に既存の枠を超え、見る者の心を揺さぶる力があった。
だが、その才能の裏に潜む支配的な態度に、常に胸の奥で苦しめられていることも。
窒息しそうなほどの重圧を感じながらも、彼から離れられない。
彼を失うことが、何よりも恐ろしいのだ。その恐怖が、菜々の心を縛り付けていた。
仕事のパートナーとして、そしてそれ以上の関係として、悠馬と菜々の間には公私にわたるねっとりとした繋がりがあった。
夜の帳が降りる頃、二人の仕事場はいつしか密室と化す。
カチリ、とドアが閉まる音は、二人の関係をさらに深くする合図だ。
オフィスの照明は落とされ、ディスプレイの光だけが二人の顔をぼんやりと照らしていた。
「悠馬…もう、帰らなきゃ…」
菜々の声は、か細く震えていた。
しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の身体は悠馬の腕の中にすっぽりと収まり、離れようとはしなかった。
悠馬は菜々の顔を両手で挟み込み、その唇にゆっくりと自分の唇を重ねた。
深く、ねっとりと絡みつく舌。
菜々の身体から、抵抗する力が徐々に抜けていく。
彼女の吐息は熱を帯び、荒くなっていった。
その夜も、二人の間には激しい肉体的な触れ合いがあった。
菜々の喘ぎ声が、静寂なオフィスに響き渡る。
ソファーの軋む音、肌と肌がぶつかり合う音。
それはまるで、二人の関係の不安定さを象徴するかのようだった。
菜々の指が悠馬の背中に食い込み、その身体を求めて彷徨う。
悠馬は彼女の髪を掴み、その顔を覗き込んだ。
瞳は潤み、頬は紅潮している。
その姿は、悠馬の支配欲をさらに満たしていく。
彼女の身体の曲線、その全てが悠馬の欲望を刺激し、彼を狂わせた。
「もっと、俺を求めろ、菜々。お前は俺がいなければ、何もできないだろう?」
悠馬の言葉に、菜々はただ喘ぐことしかできない。
彼女の身体は、完全に悠馬に囚われていた。
理性は薄れ、本能だけが残った。
彼女の指は悠馬の肩を掴み、爪が食い込むほどに力を込めた。
その痛みさえも、悠馬にとっては快感だった。
翌日、悠馬はいつものように涼しい顔でオフィスに現れた。
彼の右腕には、別の女がぶら下がっている。
青山莉子、27歳、広報。
彼女は菜々とは対照的に、華やかで奔放な空気を纏っていた。
艶やかな黒髪は緩く巻かれ、タイトなスカートからはすらりと伸びた脚が覗いている。
悠馬が刺激を求めて深い体の関係を続けている相手だ。
莉子は悠馬の裏の顔を知っている。
菜々との関係も、彼女は薄々感づいていた。
それでも、悠馬に捨てられることを恐れて、何も言い出せないでいる。
彼女の瞳の奥には、常に不安の色が揺れていた。
「悠馬さん、昨日の打ち合わせ、最高でしたね!あそこのフレンチ、本当に美味しかったわぁ」
莉子の声は甲高く、オフィス中に響き渡る。
その無邪気な声は、菜々の心に突き刺さる鋭い刃のようだった。
菜々は顔を上げることもできず、ディスプレイに視線を落としたまま、キーボードを叩く指に力を込める。
キーボードを打つ音が、普段よりも強くなっている。
莉子の香水の匂いが、悠馬の身体から漂ってくる。
それは、昨夜の菜々の残香を打ち消すかのように、悠馬の存在を主張していた。
まるで、自分こそが悠馬の唯一の女だと誇示しているかのように。
「莉子、お前は本当に可愛いな。隣にいるだけで、俺は満たされる」
悠馬の甘い声が、菜々の鼓膜を劈く。
莉子は悠馬の腕にさらに身体を密着させ、その胸に顔を埋める。
悠馬の視線が、一瞬だけ菜々の方へと向けられた。
その瞳には、嘲りの色が宿っているように見えた。
菜々の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
杉本隼人、29歳。営業職。
彼はその日も、菜々の働くフロアの隅で、二人の様子を静かに見ていた。
菜々への秘めた想いは、彼の胸の奥で燻り続けている。
彼女の笑い声、真剣な眼差し、そして時折見せるはにかんだ表情。
その全てが、隼人の心を捉えて離さない。
悠馬と菜々の異常な関係に、隼人は気づいていた。
菜々が、日に日に憔悴していくように見えた。
彼女の笑顔の裏に隠された影を、隼人は見逃さなかった。
彼女の細くなった腕、目の下の隈。
全てが、悠馬との関係が菜々を蝕んでいることを示していた。
「杉本さん、どうかしましたか?顔色悪いですよ?」
同僚の声に、隼人はハッと我に返った。
「いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけだ」
そう答える隼人の瞳の奥には、悠馬への強い憎悪が燃え盛っていた。
悠馬の傍若無人な態度、そして菜々を弄ぶかのような振る舞い。
その全てが、隼人の怒りを増幅させていた。
いつか、菜々を悠馬から解放してやりたい。
その思いが、隼人の心を支配し始めていた。
彼の拳は、知らず知らずのうちに固く握り締められていた。
この絡み合う関係は、やがて彼らの仕事と人生を巻き込み、破滅へと向かっていく。
それぞれの思惑が、複雑な人間関係の糸をさらに絡ませていく。
静かに、しかし確実に、破滅へのカウントダウンが始まっていた。