「よし、これで完璧だろ」
俺、藤井拓也は、スマホの画面に映る自分の顔写真とプロフィールを眺め、小さく頷いた。バンドのローディーという職業柄、普段から汗まみれのTシャツにジーンズという格好が多い俺にとって、こういう洒落たアプリに登録するのは少し気恥ずかしかったが、これも時代の流れってやつだろう。友人たちが次々とアプリで彼女をゲットしているのを見て、正直焦りも感じていた。特に、健太なんて、いつの間にか新しい子とデートを重ねているし。
俺のプロフィールには、「音楽が好きで、ライブハウスによくいます。裏方の仕事ですが、情熱だけは誰にも負けません!」と書いた。音楽業界という特殊な世界で働いているから、理解してくれる人を見つけるのは難しいかもしれない。でも、もし見つかれば、それはきっと特別な出会いになるはずだ。そんな淡い期待を胸に、「出会い」というボタンをタップした。
「えー、沙羅、またマッチングアプリ? そんなにすぐ次見つかるもん?」
大学のカフェテリアで、俺、遠山健太が呆れたように言った。目の前でスマホをいじっている吉田沙羅は、慣れた手つきで新しいプロフィールをスワイプしている。
「健太も人のこと言えないじゃん。この前も、イベントスタッフのバイトの子と会ってたでしょ?」
沙羅に図星を突かれ、俺は思わず苦笑いした。確かに、俺もフットワークの軽さだけが取り柄みたいなもんだから、アプリは結構活用している。色んな子と会って、色んな話を聞くのは純粋に楽しい。まあ、あんまり長続きした試しはないけど。
「俺はフッ軽だからさ。で、今回はどんなイベントに行こうって誘うんだ?」
俺の問いに、沙羅はにやりと笑った。
「今回はね、野外フェス! 開放的な雰囲気で、一気に距離を縮める作戦!」
相変わらず大胆な沙羅の作戦に、俺は感心した。俺はというと、今週末のイベントの準備に追われていた。バイト先のイベント会社で、ライブハウスの設営を手伝うことになっていたのだ。
「たくや、お前もマッチングアプリ始めたんだって?」
いつもの居酒屋で、健太が俺のグラスにビールを注ぎながら言った。
「おう。もう何回かメッセージのやり取りしてる人もいるよ。結構面白い人いるんだな、これが」
「へえ、いいじゃん! 俺も今、何人かとメッセージしてるけど、なかなか『お、この子だ!』ってなる子がいないんだよな〜」
健太はそう言って、スマホを弄り始めた。俺は健太とは違って、複数の人と同時にメッセージをやり取りするのは苦手だった。一人とじっくり向き合いたいタイプなのだ。
そんな俺が惹かれたのは、大西美里という女性だった。彼女のプロフィールには、「クラブスタッフ」と書かれていた。音楽業界の裏方という共通点。それが、俺の心を強く惹きつけた。
初めてメッセージが届いた時、俺は思わず「おおっ」と声を上げた。
『藤井さん、初めまして! プロフィール拝見しました。バンドのローディーさんなんですね! 私もクラブスタッフとして、よくライブハウスにいるので、なんか勝手に親近感湧いちゃいました(笑)』
絵文字を多用した、気さくなメッセージだった。俺はすぐに返信した。
『大西さん、初めまして! まさか同じ業界の方とマッチングするとは! なんか嬉しいです。大変なことも多いですけど、ライブの成功を影で支えるって、最高にやりがいありますよね』
そこから、俺たちのメッセージのやり取りは、まるでバンドのリハーサル中のセッションのように、自然で心地よいものになった。お互いの仕事の苦労話や、逆にやりがいを感じる瞬間について語り合った。時には、誰も知らないような業界の裏話で盛り上がった。
『この前のライブ、PAトラブルで焦ったんですけど、ローディーさんの素早い対応に助けられました! 本当に頭が下がります』
そんな美里さんのメッセージに、俺は胸が熱くなった。普段は誰にも見向きもされない裏方の仕事。だけど、彼女は俺たちの仕事を見ていてくれた。理解してくれていた。それは、俺にとって何よりも嬉しいことだった。
俺は、美里さんという人が、まるで長年の友人のように、俺の心を理解してくれる相手だと強く感じていた。彼女の言葉の一つ一つが、俺の心にすとんと落ちてくるのだ。会ったこともないのに、こんなにも心が通じ合う相手がいるなんて、不思議な感覚だった。
「今度、美里さんが働いてるクラブに、俺の担当バンドが出るんですけど、もしよかったら観に来ませんか?」
俺は勇気を出して、メッセージを送った。ドキドキしながら返事を待っていると、すぐに返信が来た。
『え! 本当ですか?! もちろん行きます! 藤井さんの仕事ぶり、しっかり見させてもらいますね(笑)』
そのメッセージを見た瞬間、俺の顔はニヤけていたと思う。まるで、ずっと探していたピースが見つかったような、そんな感覚だった。
「沙羅、お前、野外フェス行くんだって?」
「そうだよ、健太! 初めて会う子とね。この子、すっごくフッ軽で、メッセージのやり取りも超面白いんだ。きっと意気投合すると思うんだよね」
沙羅は嬉しそうにスマホの画面を見せながら言った。俺も自分のスマホを開き、メッセージアプリをスクロールする。何人かの女性とやり取りはしているものの、沙羅のように「この子だ!」と思える相手にはまだ出会えていなかった。
俺がメッセージを送っている相手の一人に、吉田沙羅とは別の沙羅という子がいた。大学の友人の紹介で知り合った子で、見た目は可愛らしいけれど、メッセージのやり取りはどこかフワフワしている。返信が遅いことも多く、いまいち盛り上がらない。
「健太、今日、ライブハウスでバイト?」
不意に、藤井拓也からメッセージが届いた。
『今日、美里さんが働いてるクラブに俺のバンドが出るから、よかったら観に来ない?』
俺は正直驚いた。拓也が、こんなに積極的になるなんて。
『え、まじで?! いいなー。俺は今、イベントの設営手伝ってるよ。お前も頑張れよ!』
そう返信して、俺は拓也の恋の行方を応援することにした。俺も早く、ピンとくる出会いが欲しいものだ。
美里さんが働いているクラブに着くと、すでに多くの人が集まっていた。開場時間前だというのに、外には長蛇の列ができていた。俺は関係者パスを提示して中に入る。
「藤井さん!」
振り返ると、そこに美里さんが立っていた。写真で見ていた通り、いや、それ以上に魅力的な人だった。ハキハキとした話し方、そして真っ直ぐな瞳。思わず「うわっ…」と声が出そうになったが、なんとか堪えた。
「大西さん、今日はよろしくお願いします」
俺は精一杯の笑顔で挨拶した。美里さんも笑顔で応えてくれた。
「いえいえ、こちらこそ! 藤井さんの仕事ぶり、しっかり見せてもらいますね」
美里さんの言葉に、俺は少し緊張した。普段通りの仕事をすればいい、そう頭では分かっているのに、彼女の視線を感じると、妙に意識してしまう。
ライブが始まり、会場の熱気が一気に高まる。俺はステージ袖で、バンドのメンバーが最高のパフォーマンスができるよう、機材の調整や準備に集中した。激しい曲が続き、フロアはモッシュの渦と化す。そんな中で、美里さんが時折、俺の方に視線を送っているのが分かった。その視線が、俺の背中を熱くする。
普段は地味な裏方の仕事だが、この瞬間ばかりは、俺もステージの一部だと感じていた。最高の音を届け、最高のライブを創り上げる。そのために、俺はここにいる。美里さんの視線が、俺のプロ意識をさらに掻き立てるようだった。
ライブは最高の盛り上がりを見せ、無事に終了した。観客の興奮冷めやらぬ中、俺は機材の片付けに取り掛かる。すると、美里さんが俺の隣にやってきた。
「藤井さん、お疲れ様でした! すごい熱気でしたね! そして、藤井さんの仕事ぶり、めちゃくちゃカッコよかったです!」

美里さんの言葉に、俺は思わず顔が赤くなった。
「い、いや、そんなことないですよ。俺はただ、やるべきことをやっただけで…」
「そんなことないです! ライブが成功するのって、裏方さんの支えがあってこそだって、改めて思いました。藤井さんの真剣な表情、忘れられないです」
美里さんの真っ直ぐな言葉に、俺の心臓は激しく音を立てた。この人には、俺の全てを見透かされているような気がした。仕事に対する情熱も、普段見せない真剣な表情も、全て。
「あの、もしよかったら、この後、打ち上げがあるんですけど、美里さんもどうですか?」
俺は意を決して誘った。美里さんは少し考えた後、にこやかに頷いた。
「はい! ぜひ!」
俺の心は、歓喜で満ち溢れた。
打ち上げ会場の居酒屋は、ライブの熱気そのままに、賑やかな笑い声と酒の匂いで満ちていた。バンドのメンバーやスタッフに囲まれて、俺と美里さんは隣り合って座った。乾杯のグラスがぶつかり合う音が響き渡り、「お疲れ様!」という声が飛び交う。
ビールをぐいっと煽り、俺は美里さんの方を向いた。
「美里さんも、お疲れ様でした。今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ! 楽しかったです! 藤井さんのおかげで、またライブハウスが好きになりました」
美里さんの笑顔は、まるでフロアを照らすスポットライトのように眩しかった。彼女と話していると、さっきまでの緊張が嘘のように解けていく。俺は、いつの間にか美里さんのことを「美里」と呼んでいた。
「そういえば美里、クラブの仕事って大変なことも多いだろ?」
「うーん、そうですね。泥酔したお客さんの相手とか、たまにいますし…でも、好きな音楽に囲まれて仕事ができるのは、やっぱり最高ですね」
美里はそう言って、グラスを傾けた。その横顔は、少しだけ憂いを帯びているように見えたが、すぐに笑顔に戻った。
酒が進むにつれて、俺たちの距離は自然と縮まっていった。お互いの肩が触れ合い、そのたびに電流が走ったような感覚に陥る。周りの喧騒が遠のいていく中で、俺たちの会話だけが鮮明に聞こえた。
「美里、もしよかったらさ、この後、もう一軒行かないか?」
俺は思い切って誘った。正直、このまま帰りたくなかった。美里との時間を、もう少しだけ延長したかった。美里は一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに「はい!」と笑顔で答えてくれた。その声に、俺は救われた気がした。
二次会は、小さなバーを選んだ。薄暗い照明と、控えめに流れるジャズ。店内の落ち着いた雰囲気が、俺たちの距離をさらに近づけるようだった。カウンターに並んで座り、俺は美里にカクテルを勧めた。
「美里、好きなもの飲んでいいよ」
「ありがとうございます! じゃあ、甘いのを…」
美里はそう言って、メニューを眺めた。その横顔を見つめながら、俺は胸の高鳴りを抑えきれずにいた。さっきまでライブハウスで見ていた、仕事に真剣な美里の顔とは違う、少しはにかんだような表情。それが、たまらなく愛おしかった。
カクテルが運ばれてきて、美里は一口飲むと、「美味しい!」と目を輝かせた。その仕草一つ一つが、俺の心を揺さぶる。
「美里はさ、どうしてこの仕事を選んだの?」
俺は尋ねた。美里は少し考えた後、静かに語り始めた。
「私、昔から音楽が好きで。特に、ライブハウスのあの独特の雰囲気が大好きなんです。お客さんの熱気とか、バンドの魂がぶつかり合う感じとか…」
美里の瞳は、遠くを見つめているようだった。そこには、音楽に対する深い愛情が宿っているように見えた。
「最初は、ただのバイトだったんですけど、いつの間にかこの仕事にどっぷりハマってて。藤井さんも、きっと同じ気持ちですよね?」
美里が俺の方を向いて、そう尋ねた。俺は深く頷いた。
「ああ、そうだ。俺も、初めてライブハウスに足を踏み入れた時、雷に打たれたような衝撃を受けた。それから、ずっとこの世界にいる」
俺たちは、互いの音楽に対する情熱を語り合った。まるで、ずっと前から知り合いだったかのように、自然に言葉が紡ぎ出された。お互いの共通点を見つけるたびに、心が通じ合う感覚が強くなっていった。
時間はあっという間に過ぎ、終電の時間が近づいてきた。
「そろそろ、帰らないと…」
美里が寂しそうに呟いた。俺も同じ気持ちだった。このまま時間が止まってしまえばいいのに、とさえ思った。
バーを出て、駅に向かって歩き出した。夜風が火照った体に心地よかった。酔いも手伝ってか、俺の心は高揚していた。
「今日は本当にありがとうございました、藤井さん」
駅の改札前で、美里が立ち止まって言った。俺は美里の顔を見つめた。ライトに照らされた美里の顔は、少し赤みがかっていて、さらに魅力的に見えた。
「俺の方こそ、ありがとう。美里と話せて、本当に楽しかった」
俺は素直な気持ちを伝えた。美里は少し照れたように俯いた。その仕草に、俺の胸は締め付けられるような感覚に陥った。
「あのさ、美里…」
俺は意を決して、美里の肩にそっと手を置いた。美里の肩が、微かに震えるのが分かった。
「また、会いたい…」
俺の声は、震えていた。美里はゆっくりと顔を上げた。その瞳は、俺の期待に応えるように、潤んでいた。
「はい…私も…」
美里の小さな声が、俺の耳に届いた。その瞬間、俺はもう我慢できなかった。